STORY03:東京での生活から結婚・教員時代

東京の支店で
リハビリ勤務

毎日2万歩、倉庫内を歩く日々

4月から配属された東京の支店では、物流業務に従事しました。早朝に出勤して医薬品を倉庫に並べ、重点管理が必要な品目の棚卸、配達業務などを担当していました。これまで頭脳労働ばかりでしたが、今度は肉体労働で、毎日倉庫内を2万歩近く歩く日々を過ごしました。

体調不良で自宅療養し、その最中の大震災で、完全に見失っていた自分の役割でしたが、物流業務に従事することで「難しいことができているわけではないが、誰かの役には少しは立てている自分」というものをひとつずつ取り戻していった気がします。

この時の経験は、私の中でとても大きな印象に残っています。経営側となった今では、体調を崩してしまいそうな社員や崩してしまった社員への助言、仕事復帰プランを考える際は、思考よりまず身体を使ってペースをつかんでいくことを重視しています。

その後、半年ほどして、総務部の受注担当になりましたが、もともと事務仕事が苦手で、常連のお客様からの電話注文やクレームへの素早い対応に困ることが度々ありました。そんな時には、10年前に同期入社した同僚が受注担当の先輩で、いつも助けてもらっていました。

成果を上げようと、思考優位でどうにも動きが取れなくなっていた自分にとっては、本当に良いリハビリになりました。体調が徐々に戻って来るのに合わせて、実家のタオル屋へと考え始めました。

偶然に訪れた
新たな兆し

英語教員へ

実家へ戻る時期を検討していた時、高校の英語科教員に欠員があり、免許を持っている人を探しているという話がありました。大学で教員免許を取得以来、全く使っていなかった資格です。でも、「いつか教員もやってみたい」という夢でもありました。自宅療養中の祖母や、実家への入社を検討していた両親にも相談し、教員に転職することにしました。

自身の経験や特性を活かせる職場

2012年5月より勤務がはじまりました。社会人経験があることから、1年目は進路指導担当になりました。経営コンサルタントとして面接をたくさん経験していたのがとても役に立ちました。就職希望者への履歴書の書き方や面接指導、大学進学希望者のキャリア相談などは、とても充実した時間でした。

2年目は生徒指導を担当しました。性格上、生徒指導は苦手でしたが、その代わりに生徒間のトラブルなどが発生した時の生徒からの聞き取りやそれを書面にするのは得意でしたので、その業務を担当させていただきました。

生徒たちにしてみると、社会人を経験した教員というのは比較的めずらしかったし、あまり怒らない、要領の良い生き方を助言することが主だったと思います。そのうち、一部の慕ってくれる生徒たちの集団ができて、試験前に一緒に勉強していると、同僚から「鳥山チルドレン」なんて呼ばれることもありました。

心地いい場所、これまでとは違った働き方

同僚の先生方は、モーレツ教員の像とは少し違って、いい意味で力を抜いた働き方をされていました。何度も全力の出しすぎで調子を崩していた自分にとっては、力の抜けた働き方はとても参考になりました。

がむしゃらに力を出すことはできるけど、全力を出さずペースを保った方が、目の前の生徒たちとも学校の教員同士とも、健やかな関係が保てるということを知っていたのだと思います。ベテランの働き方だなと感心しました。そんな同僚にならって、少しゆとりをもって、責任を背負いこまずに、仕事に向き合えた時期だったと思います。

しかし、2年目の秋、このままいくと新入生の担任になる可能性が高くなりました。1年生を担当すると持ち上がりで3年間生徒の成長を見守るのが基本でした。途中で退職することは一緒に担任をする先生方に迷惑をかけると思い、父と相談した結果、教員生活は2年で区切りをつけ、2014年4月よりタオル屋に戻ることにしました。

自分の体調を
最優先に
力を抜いた3年間

妻と出会い結婚、人生のメンテナンス期

東京の支店に配属される前後は、体調を崩していたので、自分をコントロールする方法を学ぶ研修会などに顔を出していました。「べてるの家」という当事者研究で有名な勉強会が都内で開催され、その際に知り合った看護師さんの主催するWRAP勉強会に参加したのが、妻との出会いでした。

知り合って半年足らずで結婚を決め、1年後に入籍しました。体調の浮き沈みの激しい自分にとって、作業療法士の妻はバランスを取る役目をしてくれています。教員を退職した2014年3月末には長女も授かりました。

この頃は、人生のメンテナンス期間だったよう思います。経営コンサルタントとして、経営ゲームの責任者として常に責任を背負い込み、そのプレッシャーに押しつぶされていた自分。教員をしていた2年間は、責任という面では最も解放されていたように思います。

自分の体調を最優先にして、とにかく再びバーンアウトしないように働くことを大事にした3年間でした。力を抜いた期間に、妻と知り合い、結婚し、子どもまで授かったというのは、私の人生にとって象徴される出来事に感じます。

「全力くん」でいるより、「余力くん」でいる方が、期待する結果がついてくるという逆説。いつも忘れて全力を出してしまうのですが、振り返ってみれば、この時期に私の生き方の立ち位置は示されていたようです。

Key Message03

全力を出さないことに、全力で取り組む

ゴールへの行き方は、
ひとつじゃない。

20代に
「全力くん」だった私が
学んだことは、
勇気を持って
立ち止まりながら、
自分で進む道を選ぶこと。