STORY04:現在、そしてこれから10年

家業を継ぐ

日東タオルに戻る

社長や叔父と相談し、34歳とほどほどの年齢でもあったので、専務取締役という肩書きで実家に戻ることになりました。ちょうど長年勤務していた営業担当者が退職し、20代の若手が営業を引き継ぐことになっていました。

そこで、若手とともに営業部の再構築に着手しました。若手社員は外部営業は経験がなく、また私はタオルの製作の経験がなかったので、お互いの欠点を補完しあいながら取り組みました。

営業方法は私が考え、タオルの注文対応は若手社員に任せるという役割分担でした。戻ってすぐに、自分の経験を生かす分野に配属し、若手社員とともにタオルを学ぶ機会を得られたのはとても良い時間となりました。

叔父から引き継いだもの

当時は、すでに創業者の祖父や祖母は他界しており、父と2人の弟(私の叔父)がタオル屋を経営しておりました。ところが、別会社でタオル屋をやっていた父の弟が、私が入社して半年ほどの夏に急逝してしまいました。

どちらかというと私の父は守備的な経営、叔父は攻撃的な経営スタイルでした。叔父が急逝してしまったので、営業部の再構築の次に、叔父の会社を統合する仕事を進めました。ここでも、経営コンサルタントとしての経験が活きました。また、叔父が地元で作り上げていた人の繋がりも引き継がせていただきました。

問屋街に活気がなくなるなか、アーティストや学生の力を活用してまちづくりをしていこうとしていた叔父の周りには、支援者が多くいました。今「まちづくり」の仕事を少しずつお手伝いさせて頂いておりますが、叔父のご縁から繋がっている方も多くいらっしゃいます。

新たな可能性
への挑戦

タオル塾

ご縁で繋がっている方の一人、前オーガニックコットン協会理事長の森和彦さんは、私のタオルの先生です。森さんは、父や叔父の勧めで「タオル塾」という勉強会を10年ほど実施されていました。叔父がなくなり徐々に終了となってしまいましたが、今も個人的な家庭教師をお願いしています。

一緒にアメリカのカリフォルニアの綿農家まで足を運んだり、世界的な綿花生産地・タオル生産地であるトルコにも一緒に行きました。国内の産地では、今治・大阪・おぼろタオル・東京青梅のホットマンなど、各産地を見て回りました。

事業の整理・統合

問屋街への来客が減るなか、私の主な仕事は経営資源を集約していくことでした。複数の店舗を展開していましたが、一つずつ順に統合し、今ではタオル卸売の店舗は1ヶ所のみを運営しています。

また、他社で働いていた弟にも経営に参画してもらうとともに、意気投合したホットマン株式会社の坂本社長と、共同開発した商品を販売するタオルブランドとして、モラルテックス株式会社を創業しました。

モラルテックスのコンセプトは、東京サスティナブルブランドです。そして、タオルの新しい可能性に挑戦する実験場としても位置付けおり、今までのタオルで取り組まれていなかったことに少しずつ挑戦しています。タオルをモチーフにしたタブロイド紙をつくったり、江戸切子とのコラボ商品を開発したりと、今までの卸問屋のカテゴリーでは取り組めなかったことを発掘しています。

タオル問屋は、今までの姿では生き残れないと思っています。タオルの新しい可能性に挑戦し続ける必要があると思います。

バトンをつなぐ

コロナの影響を受けて

2020年、コロナは会社に深刻なダメージを与えました。来客が激減し、感染のリスクを抱えながらも、日々の注文に対応するためには社員の出勤や協力が必要です。業務が減少する中で、縮小せざるを得ない部門もありました。

経営者にとって、日々の売上が見込めないというのは予想以上にダメージが大きいものです。2020年秋口から、しばらく、あまりの先行きの見えなさに途方にくれていました。体調を崩して休んでいた頃を思い出し、少しずつリハビリを兼ねて、肉体労働で自分の調子を整えていきました。

次の世代で花を咲かせる種蒔き

コロナに翻弄される中で「今を生きる」ということを見失っていました。亡くなった祖父との無言の会話の中から、目の前の今を生きなさい、というメッセージを受け取りました。市場環境が厳しい中で、ふさぎこんでいても何も変わりません。正解なんてないんだから、もがくしかない。そう心が決まっていきました。

今は、これまで少しずつタネを蒔いてきた、モラルテックス、タオルカフェ、江戸切子タオル、まちづくり参画プロジェクトなど、問屋街が変わっていく中で、できる取り組みに挑戦し続けています。

挑戦の成果は、1~2年では成就しないかもしれません。実家に入社してから、起業家精神をもって立ち向かわなければいけないとずっと気負いをもって生きてきました。しかし、もしかすると、私の特徴をよりよく活かすには、それではないのかもしれないと思い始めています。

創業者から父、そして私へとつながれたバトンを、次の世代までつなぐことが私の役目だと思うようになりました。ひと旗あげる、といった驕りから解放されると、良い成果や出会いが訪れる気がしています。私の世代で花が咲かなくてもいいので、少しでも土を良いものにしていく。そういう取り組みが求められるのかもしれないと思います。

Key Message04

次の世代で、花咲く種を蒔くことが仕事

経営者として、
後継者として、
大切にしたいのは、
「続けること」「繋ぐこと」。

そのために
焦りを一度横に置いて、
じっくり
土を耕すように。